其の九 学び舎の理
教育の極み
耳を澄ませば
- 学校に行かなくても生きていける。
- 学校で学ぶ知識は社会で役に立たない。
- 学校に行くより塾の方が効率的に勉強できる。
- 塾じゃなくてもオンラインで勉強できる。
- 真面目に勉強しても報われない。
- 大学を卒業しても良い仕事に就けない。
情報やサービスが整いまくりな今日、ゴビ砂漠の砂数ほど聞こえてくる、そんな声。
では、何のために学校に行く必要があるのか?
そして、何のために勉強する必要があるのか?
始まりの深呼吸をして冷静に聞け。この二つは分けて考える必要がある。
学校は何のため?
そんなもん対人能力を鍛え散らかすために決まっとるやろがい!
対人能力とは文字通り「人に対する処理能力」のこと。この能力はビジネススキルとしても重要度は高い。
社会で、否、世界で最も必要な能力は、読解力と対人能力の二つ。世界各国で鎬を削ってきた世界の漢塾の伝説の講師達の経験がそれを証明する。
ただ、それらの能力は余りにも基本的で、重要視されることは少ない。 この乱世で注目されているビジネススキルは、解決力と発想力の二つ。
しかし、それらはあくまでも基本的な能力を備えた人間の話である。世に出て飯を食って行く以上、必ず誰かと何かをやらなければならない。
つまり、学校で乳繰り合うことは、後に逃れようのない環境への免疫となる。
The roots of education are bitter, but the fruit is sweet.
教育の根は苦いが、その果実は甘い。
– アリストテレス
これでもまだ「学校に行く必要はない」と言い切れるだろうか?
勉強は何のため
そんなもん解決力を養うために決まっとるやろがい。
想定もしていなかったことを如何に学び、課題を解決するか。これが極めて重要となる。
女優になりたい。
医者になりたい。
投資家になりたい。
侍になりたい。
金持ちと結婚したい。
もはや何もしたくない。
良いだろう。結構だ。
女優になるには表現や表情を
医者になるには極めて高度な科学を
投資家になるには世界情勢や経済を
侍になるには武士道や剣術を
金持ちと結婚するには恋愛や心理を
何もしたくないのであれば、
生きるための必要最低限の環境を整えること
それぞれ勉強しなければならない。
何かをするとき、必ず「未体験」や「無知」が待ち受けている。必ずだ。
初めて靴紐を結ぶとき、初めて車を運転するとき、初めて漢を口説くとき、初めて床の技を繰り出すとき、分からないのだ。
それを解決するには、情報をかき集めて勉強するしかない。学校での勉強は、その素振りみたいなものである。
故に教科書から得る知識は社会でほとんど使わない。何故なら社会では解決力という智慧が要求されるからだ。
智慧は、知識という石垣の上に聳え立つ城塞である。石垣が強固であればあるほど、城塞の力も増す。
我が世界の漢塾、Global Otokojukuの塾生として、自分のニーズだけではなく、周囲のニーズも満たしていける城塞になれ。
君よ、叡智を磨くのは何のため?それを忘るるな。
過去の講義、受けたらんかい!
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漢になっちまうぜ?