其の十 沈黙の会話

友とでる沈黙の会話

疎遠になっている友がいる。

もしそうでなければ、この講義を受ける必要はない。

もしそうであれば、はよ全部読め!

疎遠と友、相反する概念が同一の文節に並ぶとき、それは未練を測る指標と成り得る。

友としての繋がりがまだ残っていることを望む一方、それを遠く疎かにしていたことも認めている。

アメリカの作家・ソローは言う。

Friends will be much apart. They will respect more each other’s privacy than their communion.
友はしばしば離ればなれとなる。彼らは親交よりも互いのプライバシーを尊重するようになる。

頭で理解する前に心に刻め。

お前が思っている程、お前らの友情は色褪せてはいない!

ただ少しだけ、埃を被っているだけだ。

”どうせ友達はいなくなる”

未来への不安がそう囁く。未知なるものへの不確実性が、不安を肥大させる。

そんなときは思い出せ。

現在は過去の結果であり、過去とは現在の原因であることを。是、即ち未来という結果は現在に起因する。未来は今から創ることができる。

偉業を成し遂げていった先哲達は、彼らの今を全力で生き切った。辛辣極まりない苦境に勇み立ち、血の涙を流しても乗り越えてきた先輩方もいる。

その礎があってこそ、今日の豊かな社会は成り立っている。

それに比べれば、旧友に軽い挨拶を交わすことなど、素手でトイレを洗うようなものだろう。

疎遠となった友人に今から「久しぶり。元気にしてる?懐かしくなって連絡してみた」とメッセージを送れ。例えそれが億劫であろうとも、掛け替えのない友との親睦は再び暖められる。

古代ローマの哲学者・キケロは述懐した。

Robbing life of friendship is like robbing the world of the sun.
人生から友情を取り去ることは、世界から太陽を取り去ることに等しい。

”あいつ、元気にしてるかな?”

疎遠となった友もまた、想いを馳せている。若き日の思い出を、その胸中に抱き、それが時として、彼に語り掛ける。沈黙の会話なのだ。

世界の至る所で、人知れず、ただただ黙々と、人の手に収まるほどの小さな容姿に関わらず、短い波で個々を結ぶってそれはスマホやないかい、と。

真の友情とは、言葉の量ではなく真心である。真心の言葉は、説明のしようがなく、それに魂が宿り、相手の心へと響き渡る。

世界の太陽を取り戻すが如く友に連絡を取れ。

結果はどうであれ、その時また一段とお前の「漢」に磨きがかかる。

 

過去の講義、読んだらんかい!

 

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漢になっちまうぜ?

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